名古屋高等裁判所 昭和25年(う)1464号 判決 1950年12月28日
被告人
小原利雄
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役壱年及罰金五万円に処する。
右罰金を完納しないときは金五百円を壱日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
押収に係る漁業資材購入券一枚(昭和二十四年押第弐弐壱号)は之を没収する。
原審に於ける訴訟費用は全部被告人の負担とする。
本件公訴事実中被告人が山下海信と共謀の上昭和二十四年二月中旬名古屋市中村区羽衣町五番地一力旅館に於て中村桂に対し偽造に係る農林省宮城資材調整事務所発行名義の割当品種綿漁糸二十番単糸割当数量九十二玉と記載してある漁業資材購入券一枚を不当に高価なる代金三十一万円にて売却したとの点は無罪。
理由
(イ) 弁護人大道寺和雄提出の控訴趣意書の要旨は、
一、原審が本件につき物価統制令第九条の二を適用したのは失当である。
二、本件の契約は現物化を条件としたものであつて現物化されなければ契約は成立しないのであるから原審には重大な事実の誤認がある。
三、本件の代金は現物化された場合の利益金中から再計算される性質のものであつて代金ではない。また原審判示第四の事実も山下海信が被告人に無断で金三十一万円で売却したものであつて被告人には四万五千円(内二万円差引かれた)をくれたのみであるから原審には重大な事実の誤認がある。
と謂うにある。
検事は控訴理由なしとして棄却を求めた。
依つて按ずるに原審引用挙示の各証拠に依れば原判決認定の事実に就ては之を認めるに充分であるから、弁護人所論の前記二、三の点は理由が無いが問題は原審が果して法律の適用を誤つたか否かの点に存する。
依つてこの点に就て考察するに、物価統制令第九条の二が果して所謂偽造チケツトなるものゝ取引に関して適用せられるや否やに就ては先づ物価統制令制定の目的から論及する必要がある。
同令はその第一条に於て示す通り、終戦後に於ける物価の安定を確保し以て社会経済秩序を維持し、国民生活の安定を図ることを目的として制定せられたものであるから、之が対象となるものは、物又は財産的給付の対価即ち「取引価格」であることが明かである。元来取引価格なるものは自由経済の時代に於ては法律上取引を禁止せられた所謂法禁物を除いては、総て国民の自由な意志に基いて設定せられるところの所謂「自由価格」に委ねられていたのであるが、終戦後の逼迫した経済状態の下に於ては物資の偏在とインフレ防止の必要からこれに或程度の制限を加えねばならなかつた。物価統制令第三条、(公定価格の維持)第九条の二(不当高価取引の禁止)等がそれである。この沿革に徴すると、同令の対象となる「取引価格」となるものは「法律上従来許容せられていたもの」と謂うことができるのである。故に臨時物資需給調整法等に依つて一定のルート以外には取引を禁止せられている物でも従来は自由な取引と自由な価格を認められていたものであるから物価統制令の対象となり得るのであるが、所謂偽造チケツトの様な「法禁物」は元来絶対的に取引を禁止せられているのであるから価格の面に於ても之を統制する必要なく、従つて同令の対象となり得ないと謂わなければならない。
この事は物価統制令第九条の二を看ても明かである。即ち同条は「不当に高価な取引」を対象として規定せられたものであるから其前提として当然不当ならざる価格即ち「適正価格」を規定するものと謂わなければならない。果して然らば其反面解釈として適正価格内に於ける取引は法律上之を容認すると謂うことゝなり、取引を厳禁せられた法禁物の本質と全く相反する結論となるからである。反対論者は法禁物に就ても適正価格ありとして種々の見地から之を検討せんとして居る。なるほど法禁物である偽造チケツトも巷間甚だしい高価で売買せられている。故に純粋な理論から看れば、惹くも取引が存する以上、価格も亦存在することは之を否定することができない。然し問題は斯る社会哲学論ではなくて法律論なのである。法律を基準として之を看れば凡そ取引を厳禁せられた物に対して、其取引価格を想定せんとすることが既に甚だしい矛盾である。或は法禁物は法律上取引を禁止せられているのであるから価格の面に於ても亦「無」を要求せられているのである。故にこの法律の要求を破つて不当に高価に取引すれば当然物価統制令第九条の二に該当すると論ずる者がある。一見正論のように見えるがこの説も亦究極に於て前説と同一の矛盾を包蔵している。何とならば物統令第九条の二の「不当高価」とは「適正価格」から尠少でも超過すれば直ちに成立すると謂う観念では無く、常識上不当と認められ得る程度に飛躍しなければならないものなのである。従つて其間多少の緩衝地帯を残していると謂わなければならない。翻つて法禁物を看ると、これは絶対的に取引を禁止せられているのであるから惹くもこれに価格を附して取引した場合に於ては、其多少に不拘直ちに犯罪を構成すると謂わなければならない。然るに物統令第九条の二は前述の性質を具備している以上、多少の価格は之を容認すると謂うことゝなり結局法禁物の適正価格を探究すると同一の矛盾を招来するからである。以之看之、法禁物の取引と物価統制令は全然法意を異にするものであることが判明するであろう。
翻つて刑事政策の面から看ると、偽造チケツトのような法禁物に於ては元来物資の裏付が無いのであるから、これを如何に高価に売買しても物資の流通には何等の影響なく、従つて物価の変動は絶対に起らない性質のものなのである。積極論者は現実の事態に眩惑せられ、偽造チケツトの横行によつて生じた物資の変動、闇価格の助長を云々するが、右はこれ等の偽造文書を行使して騙取した物資の影響であつて、換言すれば詐欺行為の結果に外ならないのである。若し夫れ行政当局が法律の期待と要求とに添つて完全な活動をするならば、右の弊害は絶対に起り得ない性質のものなのである。換言すれば偽造チケツトの問題は、公文書偽造、同行使、及最後の詐欺の点に至る迄、既に刑法によつて禁圧せられているのであるから、其点に於て糺弾すべく、物価統制令を適用する必要が無いと謂わなければならない。
以上は法禁物たる偽造チケツトに就ての見解であるが、この理は真正なチケツトの取引に就ても亦同様である。即ちこれ等のチケツトは指定生産資材割当規則第十五条、衣料品配給規則第八条等によつて其譲渡を絶対的に禁止せられているのであつて、取引の対象とならないものであることは、偽造チケツトと何等異なるところが無いのであるから、取引を前提とする物価統制令は其適用が無いものと謂わなければならない。
以上説述した理由に基き本件を看るに、本件の公訴事実は、被告人が偽造に係る漁業用資材購入券及真正な指定生産資材購入券(偽造であると謂う主張も証明も無いから真正なものと認めるの外はない)を四回に亘り不当な高価で売却したと謂うのであるが、原審がこれに対し物価統制令第九条の二を適用して有罪の判決を下したことは明に法律の適用を誤つたものであるから、この点に於て論旨は理由がある。依つて刑事訴訟法第三百九十七条に則り、原判決を破棄する。
(ロ) 然し本件の訴因中原審判示の(一)乃至(三)の事実は明に指定生産資材割当規則第十五条に該当する事実であるが起訴状には物価統制令第九条の二、第三十四条のみを掲記してあるから一見不当高価取引罪の点のみを起訴した様に思われるが、然し訴因は主として公訴事実の内容自体から判断すべきであつて、罰条の記載は訴因不明の場合等に於て之を判断する一の資料たるに過ぎないものである。即ち本件は前述の通り公訴事実自体から看て昭和二十四年七月三日附追起訴状記載の点(原審判示(一)の事実)及同年七月三十一日附追起訴状記載の点(原審判示(二)(三)の事実)に就ては当然指定生産資材割当規則第十五条と前記物価統制令第九条の二と一所為数法の関係に於て起訴したものと認められるからこの点に就て按ずるに、右は記録並に既に取調べた証拠に依り当審に於て直ちに判決をすることができるものと認めるから刑事訴訟法第四百条但書に則り次の通り判決する。(後略)